第一話 Nekogata生命体、襲来(FREE)
「っう……ぐず……どうしてそんな言い方するんです……っ!」
「いや、だからそれは、インプレッションは大事にしないとと思ってだな……!」
また、やってしまった。
タレントの泣き声が、6畳半の小さな撮影現場に響く。
良かれと思ってアドバイスをしたつもりが、ついきつい言葉になってしまい泣かれてしまった。
なにか慰めの言葉を、と思うがこんな時になにも思いつかない。
緊張感が漂う現場は彼女の小さな泣き声をなんとか誤魔化すように、撤収作業を行なっている。
なんて言ってあげたらこの場が収まるか考えていると、「もう、いいです」と言い残しその場からタレントが去ってしまった。
こうして、自分の担当するタレントを泣かせてしまうのは何度目だろう。
今回も確実に社長に怒られるだろうなと、自分の成長のしなさにがっくりと肩を落とす。
「はぁ……」と、つい我慢していたため息が漏れてしまう。
こうなってしまうと周りも腫れ物扱いだ。
撤収作業が済んだスタッフたちが、気まずそうに「お疲れ様でぇ〜す……」と去っていく。
最後の鍵しめは、私の担当だ。
動画撮影用にレンタルした部屋を改めて不備がないか点検をする。
膝をついて、リビング用のローテーブルの上を整理していると、ふとティッシュ箱が目に入った。
泣いてる時くらい、優しくティッシュでも渡せてやれたら、
結果はまた違ったものになっただろうか。
誰も居なくなった部屋で、これまでにない大きなため息をひとつ残して立ち上がった。
「あーーもう!泣いたってインプレッション上がらないだろぉぉぉ……」
ソファに乱雑に服を脱ぎ捨て、一人暮らしの家でやさぐれ全開の声で大きな愚痴をこぼす。
ーー疲れた。今日だけは本当に疲れた。
実はこの疲れは、言い争いだけが原因ではないのだ。
つい先日、働き先の事務所で上司に言われたことも私を焦らせている要因でもあった。
それはーー
『今月中にSNSの登録者数を1000人にしろ!』
という、私にとってはハードルの高いノルマだ。
ちなみに、先月は10人しか増やすことが出来なかった。
今現在の担当タレントの登録者数は800人。
周りは1000人などあっという間に越えさせてしまう。
だとすれば、私はマネージャーとして落ちこぼれだ。
優しさもなければ、伝え方も下手となっては、タレントのやる気を削いでしまうだけだ。
そんな自分を責める気持ちもあるが、どうしても自分の言っていることや分析の正しさを飲み込んでもらおうと言葉尻がキツくなるのを止められない。
「ダメだ、一旦落ち着こう」
立ち上がり、いつまでも片付かないキッチンを横目に、丁寧にコーヒーをドリップする。
こういう時は、コーヒーを飲むのに限る。
出来立てのコーヒーの香りを嗅ぎながら、私はいつものようにスマホでSNSを巡回する。
嫌なことがあった日は、こうしてソファに身を委ねながら、時間を忘れて意味もなく動画サイトや配信サイトを見て回るのが一番自分を落ち着かせることができる。
そしてこの日もいつも通り、世界中の人たちがショート動画を投稿しているアプリをタップした。
その後に、とんでもない事が待ち受けていようとは、つゆ知らず。
「……あ〜、目が滑ってる」
目のかすみを振り払うようにコーヒーを口に入れる。
今日はコーヒーの苦味が、やけに目立つ。
画面を上下にスワイプさせて、動画をどんどん更新して新しいものを見ること数時間。
今日に限って、全く気分転換になりそうにないようで、
一番の刺激になるはずの視覚ですら、数十秒の簡単なリアクション動画を脳が捉えてくれない。
今日のこと含め、なぜ上手くいかないのかが気がかりでならない。
何か、せめていい気分転換はないだろうか。
もう一度スマホに目をやりショート動画がメインのアプリを開くとーー。
「あ?なんだこれ」
画面にノイズが入り、文字が片っ端から見たことのない漢字の羅列に変わっていく。
「最悪だ、こんな時にバグるか?」
一度電源を切ろうと試みるが、なぜかボタンを押しても反応しない。
「はぁ?どうなってんだこれ」
ならばと思い、強制終了でシャットダウンさせてみるかとも思うが、なに一つ反応はない。
そればかりか、画面はどんどんおかしくなっていく。
手元のスマホ端末はどんどん熱を帯びていき、熱くて持っていられない。
「マジか、これ爆発するんじゃ?!」
以前ネットで話題になっていた事件を思い出す。
長年使っていた端末のバッテリーが経年劣化により、風船のように丸くなりその後爆発し、
ちょっとした火事になってしまったというニュース。
まずい、と思った時には時すでに遅く、
思い返したニュースの時のように自身の手の中で端末は大きく膨らんでいた。
「……っやば!」
そうして手から離した瞬間、これが現実とは思えないような光景を目にした。
ーー端末が、宙に浮いている。
パンパンに膨れ上がったスマホだったものは、私の手から離れた後もその場に留まっていた。
時間が、そこだけ止まってしまったように感じる。
「どういう仕掛けだよ……」
あまりにも見たことのない現象すぎて、逆に冷静になってしまう。
うかつにも触ろうと、手を伸ばした瞬間ーー。
「うわ!!!!!」
端末の目の前に光で円が描かれていく。
かと思えば、幾何学模様も上に重なるようにして描写されていく。
理解が追いつかないうち、多分、それはどんどん完成していき、
幾重にも重なった光の周りが波紋のように空間を揺らしていくと、
私の部屋にあるものがどんどん宙に浮いていく。
全ての物理法則を無視し、私だけが張り付いたように動かない。
光は少しづつ肥大化し、円の線端は空間を歪ませながら震え続ける。
金切音も鳴り始めている。
耳をつんざくような不快な音、黒板を引っ掻く音の方がまだマシに思えるほど。
ーーもうダメだ。
いや、もういい、むしろ私をどこか遠くへ連れていってくれ……
全てを諦めて、この光に身を委ねようか。
走馬灯が頭を駆け巡っている間に、
光が一層強くなり、私は、なぜか右腕だけ力が抜ける感覚に気がついた。
ああ、ならこちらから行ってやるーー。
そんな衝動に駆られ、腕を力無く伸ばした、
その時。
ギュッ
何かが、私の腕を掴んだ。
「キッッッッッッショ!!!!!!!!!!!」
前言撤回!!!!流石にキモすぎる!!!!!
なんだこの異常に冷たい手は!!!!!
咄嗟に振り解く。
「ん!う!うー!」
……何か、聞こえる。
「ウナ!!!」
「……う、うな?」
光の魔法陣をバンバンと叩き、
まるで出たいのに頭がつっかえて出れなくなった人間のような動きをしている。
もしかして。
「……出れなくなったのか?」
「うな!!!誰かいる!誰〜!?」
いや、聞きたいのはこちらの方だ。
こんな不法侵入不発、聞いたことがない。
不法侵入不発ってなんだよ。
「ナォ!!!あのね、引っ張って欲しいの!!!」
「……っいやだ!出てくんな、そのまま手を引っ込めて帰れ!」
「にゃぉ!?!?!??!?!ひ、ひどい……!!!!!帰れないもん〜〜〜〜〜〜
む〜〜〜〜〜〜り〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
メリメリと音を立てて、
光でできた精巧な魔法陣のようなものは謎の腕によって力技で壊されていく。
光が揺らいでいる、空間を揺らし、
先ほどまで不快なほど鳴っていたあの金切音もいつの間にか鳴り止んでいた。
その隙に指でも動かそうと試みるが、依然として体は動かない。
(くそ、せめて窓でも開けて声が出せたら……!)
腕だけを円の真ん中から出し、謎のナニカはこっちに来ようと必死に蠢いている。
「うなぉぉぉぉぉぉ……!!!!!」
急に唸り始めたと思ったら、今度は地震のように足元がぐらぐらと揺れ始めた。
少しづつ、奴が出てくる……!
じわりと汗が滲み、顎を伝って落ちていった。
こいつの見えていない箇所がこちらの理解を超える姿をしていたら、と思うとゾッとする。
せめて瞼を閉じられたらどんなにいいかーー。
もう片方の手が見え始め、無理やり円を広げついには頭が見え始めた。
グレーの頭には同じ色のツノのようなものが見える。
一瞬この場に不釣り合いなアホそうな声が聞こえてきたから、
気が緩みかけていたが、私は今もしかしたら世界の終焉の始まりに立ち会ってしまっているのかもしれない……そう思い、なんとか気を引き締める。
体全体から血の気が引いていく感覚と、冷や汗が止まらない。
「う。ぬうう、う〜〜〜〜〜……!!!!!!」
ああ、そろそろ顔が見えてしまう、
いやだ、怖い、目を逸らしたーー。
……スポン!
「にゃんにゃお〜〜〜〜〜!!!!ココちょ、誕生でしょ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
そいつは、私の予想を遥かに超える形をして、出てきた。
今目の前に意気揚々と出てきたその姿は、
猫人間と形容するしか他にない、見た目をして。